のうないごみ箱

散らかりっぱなしの脳みその中身をごみ箱に投げすてるがごとく書き散らしてく

考え方①

下の記事は将棋より遥か昔にAIに越されたオセロについて、まさにAIに越される瞬間を目の当たりにした方のインタビューだが、特にこの部分を見て考えさせられた。

オセロを知っていて実際にプレイしている人は「コンピュータで完全解析されるかどうかは、人間同士で楽しむオセロとは何の関係もないもの」と肌で分かっています。新たにオセロを始めるかもしれない人が減る可能性に関しては問題かもしれませんが……私は非常に楽観的に考えています。

オセロはそもそも人間同士が楽しむゲーム、というのが存在理由であって、人間同士がやって楽しいうちは例え完全に解析されていようとも関係ない、というのはロジカルであっている気がする。答えのある事をゲームをやるのはなんか気がひける、というのは完全に余計な発想でシンプルに楽しめば良いだけだ。

今後AIが発展していくとそんな場面が増えるんではなかろうか。 つまり、論理とか知識的な探求よりも、どうやって自身の感情や考え方を周囲との関わりの中で楽しめるか、みたいな。悪い言い方をすれば快楽主義なのかもしれない。人間の仕事がAIに奪われる、と言うけど、なら今まで仕事に費やし楽しめなかった事を楽しめば良いだけなんだろう。少なくともその過渡期にいる私たちの世代はラッキーなんじゃなかろうか。仕事も楽しんで、そのうちAIが全部やってくれるようになり別尺度でまた他の人生を楽しめるのだから。

 

headlines.yahoo.co.jp