のうないごみ箱

散らかりっぱなしの脳みその中身をごみ箱に投げすてるがごとく書き散らしてく

やりたい人とありたい人

自分の人生においてやりたいことを追い求めるか、ありたいことを追い求めるかという話。プロ野球選手になりたい、など具体的な目標ではなくて、周囲から尊敬されていたい、とか、人が人生がうまくいくように手助けしていたい、とか自分の状況や環境、考え方を証明したい、守りたい、とかありたいに重きをおくタイプ。

 

自分の場合、周りに自分の能力を買ってもらっていたい、というのが今まではすごくあった。で、その買ってもらい方は、仕事の面や理屈の面で共感したり話を分かってあげることで相手の気持ちを満たすことよって買ってもらってたと思う。別にそれが実利を生むことはなくても、一旦は気が済むし気持ちを満たされるからそれが価値になってた。相手がいないと成立しない。アメリカだと通用しないやり方。ここだと自分の役割に対して、自分のやり方を主張しそれを貫いていくことで周囲から買ってもらえるようになる。別に共感とかあんまり必要とされていない、少なくとも自分のポジションに対する苦労の共感とか。本当はして欲しいのかもしれないが、自身がそれに対して愚痴ることがまず自立心にかけると捉えられそうだし、クダを巻いているのはきっと恥ずかしいことなんだろう。プロフェッショナルなんだから、だろう。

 

話は逸れたが、ことあるごとに目標を立ててはなんか違う、と思い挫折しまくってきたのはやっぱり目標になんて全然興味がなくて、自分のありたい姿、特に他人に依存したありたい姿(見られたい姿)に意識がいってたからなんだろう。他人に関係ない、自分自身で完結するありたいを見つけていきたい。

 

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